本のカバー作りは余白が大切

本のカバーは文字だけがいい。
写真やイラストの奇麗なカバーが目を引くのはもちろんで。
タイトルだけのカバーに魅力を感じる人はたぶん少ない。
でも本にはせっかく名前(書名)がついている。写真やイラストに隠れてばかりじゃちょっと……ね。


だけどタイトルだけの本ばっか並んでても味気ないじゃない。とおっしゃる方々心配ご無用。そんな事にはなりません。
やっぱり本だって売れたいし、売れればうれしいし、読んで欲しい。
売れなきゃ本がぱったりって人がいる。現実的なはなし。


それでも文字だけのカバーこそ愛すべきパートナーなんだ。とこの頃思ってしまう。
いつ頃がこの頃か、憶えてないけれど。
デザインは本と一緒でも、デザインそれ自体であってほしい。
本は読めばわかるのだから。
どうぞ手にとり、どうぞ読んでください。
その時々の愛する一冊くらいはみつかるでしょう。たぶん。


アクティブな余暇もいいけど、丸まって本と過ごす余暇もよいものです。
そう余暇。文字だけのカバーも余暇いっぱい余白いっぱいです。
本はそもそも余白のあつまりなんですから。
余白の余は「余り」でもあって、「余裕」でもあって。
「余り」は捨ててしまわずに、「余裕」をもって落ち着きください。
余った時間は「暇」ではなくて「自由」にしましょう。
文字が余白と溶け合いひろがったら、答えてくれる。

シロナガスクジラは地球上で最大の生物


余白が海となって凪いでくる。文字が島となって海に浮かんでくる。
指でその島の間をなぞっていったら、クジラになって泳ぎはじめた。
ゆったりゆったり、自由なクジラが、本の中へと潜ってゆく。

仕事中うとうとした時に見た夢の話し……。

https://sankyobooks.jp/sankyo/index.html

引用符って?

本を作っていますと様々な方から問い合わせがあります。

文字組、デザイン、レイアウトなどのDTPに関わる事はもちろん、印刷、製本、用紙など様々です。

今日の問い合わせは「引用符について」でした。

編集者の問い合わせは、以前出版した本での引用符の使い方が間違っていると他社の編集者から指摘されたというものでした。

引用符とは約物といわれる中のひとつで、分かりやすくいえば記号です。

和文欧文区別なく列記しますと、「」『』()【】‘’“”〝〟ーなどあります。

文章には必ず出てくるこの引用符ですが、誰もが知ってはいても使用方法、その区別と問われると明確に答えられるでしょうか。

校閲の視点から見れば厳格なルールがあると思いますが、本の文字組サイドからいえば全角と半角の区別、句読点や終わり括弧(」』)】)などを行頭にしない、始まり括弧(「『(【)は行末にしないなど「禁則」と呼ばれるルールで意識するくらいなものです。

この禁則ルールもインターネット上では完全に崩壊していて、行頭や行末にカッコや句読点が堂々と居座っているのを頻繁に目にします。

そんなのは些細なことで、拡大縮小が自由なリフロー型のメリットのほうが優先されるのでしょう。

イチャモンをつけているとしたら、本に携わる業界筋いわゆる「専門家」のみかもしれません。

良く言えば伝統。悪く言えば旧態依然ともいえます。

しかし「専門家」に閉じこもって軽視するのでなく、一考する事としとらえるのは大切だと思います。

誰も気にしてないのに勝手に大問題にしている傾向は「専門家(=閉じた業界社会)」にありがちで、もうそれは「こだわり」ではなく「独りよがり」にしかすぎません。もちろん良いものは残せばいいし、そうでないものは変えればいい。

だいぶ横道に逸れました、引用符に話しを戻します。調べた結果は国による使用法、その形やその呼び名など様々あるということでした。

カッコの使い方についての個人的な興味は、本の著者があえてカッコ付きで表記する「固有名詞」、「肩書き」や「コトバ」の意図や思考の方です。

すべてはイメージからはじまる!

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本を作る、読む、見る。愉しみはそれぞれ、人それぞれです。

その愉しみの先に見える自分や大切な人の家。書店や図書館の中……。

そこではたくさんの本が顔をそろえ待っています。

自費出版に関心があったり、本を作りたい、書きたいと思ったりしたなら、一度上記サンキョウ書店ホームページをのぞいてみてください。

本ができてくるまでのささやかな物語です。