探検部結成

小学生時代の友人と二人「山登りてぇなぁ」とのお気軽な会話で探検部を創設したのは去年(2019年)。山岳部ではなく“探検部”としたのは言葉の響きが良かったからで、目標はかなり高くキリマンジャロだ。
この友人とは藤子不二雄を目指し(?)漫画を描いていたが、二人ともまったく別の道へと進み現在にいたる。特に漫画家を目指したわけでもないから作品は未完の末に消滅したが、愉しかった記憶は今につづいている。当然ながら悔いはまったく無い。

結成を期に探検部ロゴを作ってみる。

環境に優しいぷぅ〜探検隊Pooh Explorers Club」

スカルが被っているのは小学生時代にクラスで結成したチームお揃いの野球帽だ。友人が大切に保存していたおかげで奇跡の復活登板となった。
キャップなんて言葉のなかった当時、野球帽以外の服装はバラバラ、ユニフォーム一式揃えるなんて発想は子供たちにはなかったが、これで大満足だった覚えはある。今この帽子を見てあのバラバラ感がけっこう活き活きとみえてくるのは、現実の社会があまりに均一化した物、事、風景、空気に囲まれていて窮屈でつまらなく思えるからか。

この帽子の向こう側に広がっていた当時の土、泥、木、森は消えてしまった。もちろんそこに住む生き物も……。ほとんどが宅地や道路へとなって記憶を辿る困難さだけが残った。何で読んだかは憶えてないが、“景色の破壊は記憶の破壊”との言葉が強く脳に響く。記憶を辿る道のない今の風景に愛着など全くないのは当然だろう、記憶を必要としない都会だけが意志無く拡張してゆく。
道路工事は延々と今にいたっても行われ続けている。そんなに道路が欲しいなら、いっそ土地を真っ平らにして全部道路にしてしまえばいい。日本的“ふるさと作り”の見本となって称賛されることだろう。

本の仕事にたずさわっていると、商業出版でも自費出版でも感じるのは、記憶の消滅との抗いだ。数年、数十年経て、電子本(デジタル)が書籍(アナログ)を隅っこへ追いやる時がくるだろう。そうなった時、記憶はどこに留まるのだろう? 記憶はカタチに宿る。デジタルには宿らない。

ロゴを見せた友人がスカルの被る帽子の泥を見て、
「帽子を洗っとけばよかったな」と言った。
「汚れを取っちまったら記憶もとんじまうじゃねぇか」と思った。

https://sankyobooks.jp/sankyo/index.html

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