束見本。それは誰がどのように作っているのだろう?
束見本は通常二、三冊しか制作しない。また本の仕様はそれぞれ異なることから大量生産向きの大型機械にご登場は願えない。
よって職人さん、人の手にお願いする事となる。
本文、カバーなどの印刷物、花布(ヘドバン)やしおり(スピン)など、本に必要なすべてが集まってくる所が製本工場だ。その広い構内には多種多様な大型の機械がズラッと並び整然と規則的に動いている。その片隅に黙々と働く職人さんの姿を見ることができる。
職人さんの机の上には細かな本の各パーツがたくさん並んで、ひとつひとつが手で本に組み立てられてゆく。工場から響く音の中にあっては、異なった時の流れをその手の動きは醸し出しているように感じてくる。
デジタル化の流れにさまよう紙の本ではあるけれど、その本というカタチがずっと続いてゆくよう思えた気がしたのはノスタルジーだけではないはずだ。
職人さんの中には、手作り本の工房をされている方もいると聞いた。
丁寧に作られたオリジナルな一冊は、依頼者からの大切な視線の元、新たに生まれ変わって存在し続けてゆくのだろう。
束を確認するためだけに生まれてきた本としての束見本が、出版社の机や本棚の隅っこにあるのを見かけたりする。
その定位置で、商業出版と自費出版での異なった空気や時間、それぞれの光の当たり方の違いを見せてくれたりする束見本。
真っ白な紙の連続する読むためでないその本のページをパラパラとめくりながら、いつの日かきっと「誰か」が「何か」を記しているだろう、書(描)いているだろうと想像してみるのは楽しい。
じっと目を凝らす時節である。もしかしたら見えないだけで、何かが書かれているのかもしれない。