ガルシア=マルケス『百年の孤独』とカール・マルクス『資本論』

今年もあと僅か、とはいえコロナウイルスの影響は新年一月を迎えるという雰囲気はこの12月には皆無で、あるのは来月が13月だというただ漂いゆく空気ばかりだ。
外出を控える傾向が最大になりつつでありますが、こんな時こそ読書です。
コロナ禍に読むべき一冊として、『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス 鼓 直 訳 新潮社)を上げたいと思います?
すでに読んだ方も多いとは思いますが、この傑作は何度も読む価値をもち、百年間が濃厚に凝縮された小説です。

それに合わせてもう一冊! というのは先日「千夜千冊」の松岡正剛さんの「本は3冊同時進行で読んだほうがより理解できる」との記事を朝日新聞で目にした影響からです。
3冊とはいいませんが、合わせて読むならと思いついたのがマルクス『資本論』です……が、この難解な書をいきなりではキツイので、『シリーズ世界の思想 マルクス 資本論』(佐々木 隆治 KADOKAWA)をお薦めしたいと思います。『資本論』第一巻に絞って丁寧に解説された入門書で、『資本論』を読みたくなること間違いなしです。

ちなみに世界の名著を紹介するテレビ番組『100分de名著 』(NHK Eテレ)の2021年1月からの放送は『資本論』。講師は著書『人新世の「資本論」』が話題の斉藤幸平氏なのも楽しみ倍増です!

ある家族の100年の歴史のある家族とは

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本には木の血液が流れゆく

図書館からの帰りに隣接する公園で見たのは、無造作に切られた一本の木の死にゆく姿だった。年輪をさらされても歳を語らないで在る。
切られて間もないのか、その年輪はぱっくりと空を見上げ、太陽の光が樹齢を刻むそこを照らし艶っぽくみえる。

木は紙になり本になる
切られた木の傷口は体液で輝く

図書館から借りて来た手に持つこの数冊の本たちも、かつては太陽に恵まれた森の中で生きる木だった。木は森で育ち紙が生まれ、その紙を束ねて本になる。

子供の時も本の仕事をするようになった今でも、本はいつも側にあって、紙への愛着がある。
仕事場の本棚には紙の見本帳が並んでいて、その中から用紙を選びだしてくれるのは本自身だ。用紙の種類は膨大だが、木の種類の豊富さに比べれば小さい世界に過ぎない。
人はその紙へと言葉やイメージをインクで満たし、紙は本となって読む人の好奇心や知識を拡げ満たしてくれる。

木に比べ本の命は短いけれど、人のそれはもっともっと短命だ。
人の多くは記憶を残さず終止符をうったが、本を作る事は欲していたはずだ。わずかな人の記録は本に残されたが、時間と空間を超越できた本はさらに少ないだろう。

マルクスの残した『資本論』はそんな生き抜いてきた本の一冊だと思う。
最近、この難解な『資本論』について書かれた、『人新世の「資本論」』(斉藤幸平著 集英社新書)や『武器としての「資本論」』(白井聡著 東洋経済新報社)といった解説本がよく読まれていると聞いたからだ。
『資本論』はこの先も、累々と積み重なる挫折者の山を築いてくれるにちがいない。

紙となる木を、マルクスなら何と表現するだろう。

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世界最大の祭典2020

とらんぷ? ばいでん?

ばいでん? とらんぷ?

二〇エレのリンネル = 一着の上着

一着の上着 = 二〇エレのリンネル

本は見開き 左右対処

右ページ? 左ページ?

左ページ? 右ページ?

左右対処 本は見開き

落とし穴には気をつけよう

覗く = 穴 = 落ちる

落ちる =穴 = 覗く

夜、安部公房『箱男』(新潮文庫)再読。

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ゴミ捨て場で読書する

ゴミの集積所で本たちを目にする時がある たいていは数冊で紐で結われている。
かつては書店の本棚で背文字を見せつけ、ヒトの視線を浴びていた本。
かつては一字一句、ヒトの視線に追われていた本。
今では路上に積まれ、収集車のお出迎えを待っている。

コロナウイルスの影響下、家庭ゴミが増える一方で、飲食店の休業が相次いだ繁華街ではゴミの減量が凄まじかったようだ。
「コロナでごみ激減、窮地の収集業者 感染リスクに不安も」(2020年6月2日配信・朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASN6236Q9N5QUTIL05C.html

食品ロス、ゴミの廃棄、焼却場などの問題が言われて久しい。誰もがゴミの減量は良いと思っているに違いない。が一方では、ゴミが減ると生活できなくなる人たちもいる。
見回せば、ほとんどのヒトは矛盾だらけに囲まれ生きていたということだろうか。

自然環境も、ヒトがわざわざ環境保護運動なんてしなくとも……。
「人が出ないと、現れた 街に動物・澄んだ水・青い空、…コロナ余波」(2020年4月19日配信・朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14447645.html

原発事故の起きた福島・双葉町にかつてあった標語を思い出す。
「原子力明るい未来のエネルギー」
一部のヒトの間では、事故後の現在でも「未来のエネルギー」らしい。
新しい標語が待ち遠しい。それは「明るい」のか「暗い」のか。

「モノは使い捨てにしましょう。そして経済を回しましょう」
コロナウイルスはヒトが使い捨てだったことを明るみにした。
「モノもヒトも使い捨ての時代です。働けるだけ働いたらなるべく早く死んで経済を回しましょう」

記憶は人から消えゆき、人は記憶から消えゆく。
ゴミを収集するヒトとお迎えを受けた本、使い捨て同士が集積所で出会って焼却場へと走り去る。

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モノを簡単に捨てるヒトも捨てられる

本のカバー作りは余白が大切

本のカバーは文字だけがいい。
写真やイラストの奇麗なカバーが目を引くのはもちろんで。
タイトルだけのカバーに魅力を感じる人はたぶん少ない。
でも本にはせっかく名前(書名)がついている。写真やイラストに隠れてばかりじゃちょっと……ね。


だけどタイトルだけの本ばっか並んでても味気ないじゃない。とおっしゃる方々心配ご無用。そんな事にはなりません。
やっぱり本だって売れたいし、売れればうれしいし、読んで欲しい。
売れなきゃ本がぱったりって人がいる。現実的なはなし。


それでも文字だけのカバーこそ愛すべきパートナーなんだ。とこの頃思ってしまう。
いつ頃がこの頃か、憶えてないけれど。
デザインは本と一緒でも、デザインそれ自体であってほしい。
本は読めばわかるのだから。
どうぞ手にとり、どうぞ読んでください。
その時々の愛する一冊くらいはみつかるでしょう。たぶん。


アクティブな余暇もいいけど、丸まって本と過ごす余暇もよいものです。
そう余暇。文字だけのカバーも余暇いっぱい余白いっぱいです。
本はそもそも余白のあつまりなんですから。
余白の余は「余り」でもあって、「余裕」でもあって。
「余り」は捨ててしまわずに、「余裕」をもって落ち着きください。
余った時間は「暇」ではなくて「自由」にしましょう。
文字が余白と溶け合いひろがったら、答えてくれる。

シロナガスクジラは地球上で最大の生物


余白が海となって凪いでくる。文字が島となって海に浮かんでくる。
指でその島の間をなぞっていったら、クジラになって泳ぎはじめた。
ゆったりゆったり、自由なクジラが、本の中へと潜ってゆく。

仕事中うとうとした時に見た夢の話し……。

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新型コロナウイルスの時代のガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』

カミュの『ペスト』(新潮文庫)がベストセラーになったのは新型コロナウイルスによるそうだが、その影響で私が再会したのはガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』(木村榮一訳 新潮社)である。

この新型コロナウイルス流行の経験が、次の時代に良い影響を与えるはずだと信じたい。

オビの文「51年9ヶ月と4日、男は女を待ち続けていた……。」(ガルシア=マルケス全小説 初版2006年10月30日発行)からはロマンチックで美しい小説を連想するけれど、それだけでなく欲望とエネルギー満ち溢れる人間の生々しい臭いがとてつもない作品だと思う。

ラストは主人公とヒロインの乗船した川船がコレラのために行き先なく漂い、主人公が確信を持って船長に言う言葉が感動的で、川が永遠の流れへと繋がるのだった。

しかし個人的に最も記憶に残っているのは美しい場面ではなくて、主人公が51年9ヶ月と4日待ち続けた女性と夫との間におきた話しである。

「はじめて小便の音を聞いた男性は夫だった。新婚旅行でフランスに向かう船のキャビンで、(中略)馬の小便を思わせる力強い音を聞きながら、自分の身がもつだろうかと不安になった。」(『コレラの時代の愛』より)

その後夫婦の間でトイレをめぐり様々な諍いがつづき、夫は「家庭の平和を乱さない」よう便器を使用するたびに拭くという本人にとって「屈辱的な行為」をするのだが、最終的な解決法として「妻と同じように便器に座って用をたすこと」になる。

なぜこの箇所かといえば、その頃にある女性宅を訪ねトイレを借りた時に言われた言葉が読書中に思い出されたからであった。

「使用後は必ずフタを閉じて!」

便器のフタを閉めないでトイレから出た事に対しての女性のキツイ一発だった。

この小説を読んでからは主人公を見習って一歩進歩し(公共施設などの小便器前には《一歩前へ》と書いた貼り紙を頻繁に目にする)、《女性宅のトイレでは座って、音を出さずに用を足すこと》と私のルールブックには加筆された。

似たような経験をされた男性は多いのではないでしょうか? 

『ウイルスの驚異 人類の長い闘い』

東京新聞電子版に「WHO、「パンデミック」と表明 新型コロナ、終息見通せず」(2020年3月12日)との見出しが、ふとある本を思い出させた。

『ウイルスの脅威 人類の長い闘い』(マイケル・B・A・オールドストーン著 二宮陸雄訳 岩波書店)。

「ウイルス疾患は常に脅威でありつづけている」(『ウイルスの脅威 人類の長い闘い』より)

奥付は「1999年12月16日 初第1刷」だから、新型コロナウイルスの感染が広がる今から20年前発行。

本書「はじめに」では、ウイルスが人類に与えた甚大な影響が書かれてある。

これが凄まじい。

天然痘、黄熱、麻疹、ポリオ、ラッサ熱、エボラ、ハンタ、エイズ、インフルエンザ……これらウイルスの大流行が、今の「世界地図」を作り、今の「世界史」を書いたのだと言っても過言でないことが書かれている。

私たちが「世界史」「人類史」と呼ぶ本の共著者はウイルスだったのだ。

そして今また、新しいウイルスに人の歴史はさらされている。

「ウイルス性伝染病の歴史には、人間の恐怖と迷信と無知が織りこまれている。」

(『ウイルスの脅威 人類の長い闘い』より)

マスクやトイレットペーパが店頭から消えたパンデミックの中、読むべき今の一冊だろう。